沿革
上野さくら通り商店街振興組合は、上野駅前通りから昭和通りを結ぶ延長120m、道幅6mの通り会で、上野6丁目に位置している。
江戸時代、旧下谷西町方面から上野山に通じる近道として利用され、なかでもお花見どきには仮想した花見客の往来で賑わったという。
昭和24年、明るい街づくりをモットーに木柱灯建設。「さくら通り商店会」が発足した。48年京成百貨店が開店したことで周辺の状況は一変した。これにともない「上野京成さくら通り商店会」と改称した。
60年東北上越新幹線が上野駅始発となり、京成百貨店がマルイシティ上野店に代わって若者の街に変貌したため、62年8月「上野さくら通り商店街振興組合」と改組し、時代の変化に対応すべく組織を強化し、明るい街づくりを目指している。
江戸時代、旧下谷西町方面から上野山に通じる近道として利用され、なかでもお花見どきには仮想した花見客の往来で賑わったという。
昭和24年、明るい街づくりをモットーに木柱灯建設。「さくら通り商店会」が発足した。48年京成百貨店が開店したことで周辺の状況は一変した。これにともない「上野京成さくら通り商店会」と改称した。
60年東北上越新幹線が上野駅始発となり、京成百貨店がマルイシティ上野店に代わって若者の街に変貌したため、62年8月「上野さくら通り商店街振興組合」と改組し、時代の変化に対応すべく組織を強化し、明るい街づくりを目指している。